康治二年三月八日条
Translated by Jitsuya Nishiyama
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The second day of the sexegenery cycle. ↩
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Toba (1103-1156, r. 1107-1123) ↩
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Sutoku (1119-1164, r. 1123-1142) ↩
Original Text 原文
康治二年三月八日条
八日、〈乙丑、〉詣鳥羽、次詣新院、御談合次勅曰、熊野那智有一僧、自称宋朝人、生年二十九、十一歳渡日本国、所習論語・孝経而已、〈在宋国時習也、〉唐声誦之、在宋国時在橘洲、勅令註進自在宋国時至于今之事、〈一紙書之、〉余請見之、上皇許之、書写退出、其文甚鄙陋云々、
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「勅」とあるので、崇徳上皇ではなく鳥羽法皇の言葉である可能性も考えられる。しかし、頼長は『台記』康治二年九月八日条において崇徳上皇の言葉を「勅」と表現しており、ここでは最後に「上皇許之」とあるので、崇徳上皇との会話である。(USC漢文ワークショップ2019講義より) ↩
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のみ(而已): …だけ。それだけ。それでよい。文末に置かれ、限定・強意を表す。(『新選漢和辞典Web版』抜粋) ↩
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からごえ(唐声):(1)(呉音を「やまとごえ」というのに対して)漢音(かんおん)のこと。(2)美しい声。よい声。(『日本国語大辞典』抜粋) ここでは、(1)の意味。 ↩
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今の湖南省長沙。(高橋均「ある中国研究者の早すぎた死:藤原頼長の経書研究を中心として」『王朝人の婚姻と信仰』倉田実 編 森話社 2010年 278頁 参照)今の湖南省長沙にある、橘子洲のことか。 ↩
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ちゅうしん(注進)1. 文書用語。事件の詳細や調査結果を記しつけて進達すること。2. 情報を知らせること。部下やその他情報提供者が知らせをもたらすこと。近世、急使による注進が戯曲の手法に用いられる。(『角川古語大辞典』抜粋) ↩
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一紙(いっし):一枚の紙。 ↩
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ひろう(鄙陋):品性・言動などがいやしいこと。見識などが浅はかであること。また、そのさま。(『デジタル大辞泉』抜粋)中国の教養人にとって『論語』・『孝経』は最初に学ぶ基礎的な経書で、これらを11歳で学び来日した後には、中国語でほかの経書を学ぶ環境ではなかったことを考えると、漢文を書く力は来日以降上達していなかった可能性が高い。(高橋均「ある中国研究者の早すぎた死:藤原頼長の経書研究を中心として」276-280頁 参照) ↩